手塚治虫のすごさを教えてください
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001 2022/04/26(火) 20:14:35 ID:B0K5QHzPho
手塚治虫は、マンガの連載を何本も持っていたというけれど、
具体的に、どの雑誌にどの作品が載っていたのですか?
一週間ぶんのスケジュ-ルを教えてください。
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002 2022/04/26(火) 21:38:18 ID:qaBMgRmXBQ
003 2022/04/26(火) 22:42:17 ID:niltVkARQY
004 2022/04/27(水) 06:06:33 ID:xLx4sMWGLw
少年ジャンプのリボーンの騎士とか
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005 2022/04/27(水) 11:12:18 ID:2E6eZ1Ea5k
006 2022/04/27(水) 11:27:56 ID:xF2I8sur3g
週刊モーニングのブラックジャックによろしくとか
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007 2022/04/27(水) 11:36:37 ID:AQTGx0ToqI
リニューアルしたどろろに期待したけど
百鬼丸が喋れないからいまいち物足りなかった。
旧作は喋ってるのに。
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008 2022/04/28(木) 00:15:08 ID:7Y389w1ZBA
スケジュールは知らんが、晩年は火の鳥・BJ・ブッダ・アドルフに告ぐ等名作ぞろい
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009 2022/04/29(金) 00:10:30 ID:yvbuHwthS6
徹夜仕事自慢。
以前、NHKのアーカイブで、手塚治虫(享年60歳)の漫画の執筆作業を追った番組を見た。
深夜の仕事場で、一度原稿を書き上げても考え込み、納得がいかなかったら書き直して、締め切りギリギリまで仕事をする姿と、担当の編集者が、仕事場のソファーに毛布に包まり仮眠を取り、原稿を待つ姿が印象に残った。
水木しげる(享年93歳)が著書で、手塚について「命を削って漫画を描いていた」と評する一方で、「手塚さんも石ノ森(章太郎、享年60歳)さんも徹夜仕事の自慢がすごかった。だから若くして亡くなられた」と書いていたのに納得した。
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010 2022/04/29(金) 09:33:50 ID:5O87BKAt8U
絵柄に古臭さを感じて食わず嫌いだったのだが、読んでみると凄い。
逆に漫画の定番を創った結果クラシカルに見えてたんだろう。
一方でそれまでの掟破りをいろいろと生み出したようで、その衝撃はリアルタイムで読んだ人間のものだろうな。
時間表現に応じてコマの形状を操作するとか、ワク線破りをするとか、今ではあたりまえだが、
後世の自分たちが当時の衝撃を味わえないのは残念かつ贅沢。
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011 2022/04/30(土) 15:28:51 ID:7yhmuuFycw
週刊漫画サンデーの静かなるドン・ドラキュラとか
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012 2022/05/03(火) 20:04:51 ID:NFeEnMpnu6
013 2022/05/10(火) 06:44:47 ID:LGDtw48zYM
漫画だけじゃないんだよ手塚さんは
今の毎週放送される30分のテレビのアニメ番組も手塚さんの考案で始まったんだよ
最初は日本式のアニメ製作技術がなかったため
週に放送するアニメの製作というのは大変だったんだ
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014 2023/10/31(火) 06:32:13 ID:XHot6s2hOY
赤本(あかほん)、あるいは赤本絵本、近代赤本、とは、明治期から出版された少年向きの講談本・落語本で、表紙に赤系統の色が好んで使われ、内容も低俗とみなされたものの俗称である。通常の書籍の流通ルートに乗らず、駄菓子屋や露店などで販売された。
近代赤本は明治頃、江戸地本より派生し~1932年頃より描き下ろしの漫画本が急増し~
1947年(昭和22年)に手塚治虫の『新宝島』が40万部とも80万部ともいわれたベストセラーになったのをきっかけに、全国的な赤本漫画ブームを巻き起こした
>漫画なのに主人公がいつも悩んでて~まるで映画を見てるような感じ
第12回広島国際アニメーションフェスティバル 手塚治虫の仕事」内のトークショウ「オサムとアトムとアニメの日々」
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015 2023/10/31(火) 06:55:58 ID:XHot6s2hOY
──貸本屋ブームはいつ頃から始まったのですか?
貸本屋は赤本(書籍の流通ルートに乗らない少年本)が衰退した昭和20年代終わり頃から、突如全国に広がりました。当時の娯楽の王者は映画と歌謡曲。この2つを柱にして、平凡出版(現マガジンハウス)から『平凡』、集英社から『明星』(現Myojo)という芸能雑誌が出版されます。この2誌がドル箱となり、その他の文芸誌、主婦雑誌などと並んで貸本屋専門に発行される貸本小説・貸本漫画が人気を呼ぶようになりました。貸本屋へ通う大人たちにくっついて、子供たちも貸本屋を訪れるようになります。
──貸本ブーム初期ですね。当時の漫画界はどのような状況だったのでしょうか。
すでに手塚治虫が赤本で人気となっており、松本零士もデビューしていました。当時は月刊誌しかなく、『少年クラブ』、『少年ブック』、『少年画法』、『痛快ブック』、『漫画少年』など。少女漫画は『りぼん』、『なかよし』、『ひとみ』、『少女ブック』、『少女クラブ』などがありました。
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016 2023/10/31(火) 07:09:02 ID:XHot6s2hOY
また、当時はテレビの創成期で、数年後には『まぼろし探偵』(少年画報社)がドラマ化されて大人気となり、単行本も売れまくります。ほかには『ビリーパック』(少年画報社)、福井英一による大ヒット漫画『イガグリくん』(秋田書店)、特に『赤胴鈴之助』(少年画報社)はドル箱でした。集英社からは『おもしろ漫画文庫』というシリーズが毎月2~5冊出版され、それらが貸本屋に卸されていました。しかし、朝日新聞の連載だった『サザエさん』以外の漫画の地位は低く、親や先生は「読むと馬鹿になる」と(笑)。中学生で読んでいたら、病気を疑われたくらいです。
昭和30年(1955年)以降、貸本業界に突如、不健全(笑)な作品が出始めるんです。それまでは子供向けのスポ根、友情や家庭などがテーマでしたが、ギャングが命をかけて闘ったり、殺し屋が暗躍したりという、大人の鑑賞に堪えうる映画のようなストーリー漫画で人気が爆発したことで、いわゆる『劇画』の時代が始まります。それからすぐにテレビが一家一台という時代になり、大衆演劇、紙芝居、娯楽の王様だった映画までもが、あっという間に斜陽になります。実は漫画も消滅する危険があったんです。でも、それを救ったお化け作品が赤塚不二夫の『おそ松くん』です。
https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2020/... 手塚治虫 作品年表
https://tezukaosamu.net/jp/manga/chronology.htm...
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017 2023/10/31(火) 07:27:02 ID:XHot6s2hOY
>>16続 当時のブームは凄まじいもので、登場人物のイヤミが繰り出す「シェー!」を見たさに、子供から大人まで掲載誌の少年サンデー(小学館)を買い求めたのです。ゴジラや皇太子時代の徳仁天皇陛下も、「シェー!」をして話題となりました。
雑誌漫画が爆発的に部数を伸ばしました。その漫画雑誌ブームに押されるように、貸本漫画の凋落が始まるのです。衰退期に入ったのは昭和37~8年(1962~63年)ごろ。『平凡』や『明星』が人気だった頃は全国に3万軒あった貸本屋が、この頃は2000軒を割るようになりました。
それまで月刊誌であった少年誌の週刊誌化 1959年(昭和34年)創刊
https://gigazine.net/news/20090318_sunday_magazine... 小学館『週刊少年サンデー』30円 手塚治虫や藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫といった通称『トキワ荘』組の有名漫画家たちを連載
講談社『週刊少年マガジン』40円 ちばてつや、川崎のぼる、さいとう・たかを、水木しげる、横山光輝、楳図かずお、松本零士、水島新司、ジョージ秋山、永井豪・・・
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019 2023/10/31(火) 08:03:21 ID:XHot6s2hOY
[YouTubeで再生]
1951年 月刊誌の『少年』(光文社)に「アトム大使」連載
1957年 ラジオ東京テレビ(現TBSテレビ)系列で鉄腕アトム”紙人形劇”放送
1959年 毎日放送制作、フジテレビ系列で鉄腕アトム (実写版)放送。
1960年『原始家族フリントストーン』30分枠でテレビ放映開始(アメリカ) ←それまでのテレビアニメは5~8分
1961年 手塚治虫が、練馬区富士見台に手塚治虫プロダクション動画部設立
1963年1月1日『鉄腕アトム』(鉄腕アトム (アニメ第1作)- 日本初の本格的なテレビアニメ
要するに毎週30分枠のアニメ制作で、シットコム(ドタバタコメディ)じゃない、動画が少ない殆ど止め絵だけどストーリー重視のアニメ番組
を開発したのが手塚治虫という事かなぁ
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