>>44 逆、逆!
揉め事になってるかどうかの方が、批評としてはどうでもいいんだよ。
揉めたら芸術として評価が下がって、そうでなければ高評価なんてことあるはずがない。
許可を取ってるなら、「公式に認められたパロディ・オマージュ」だし
そうでないなら「パクリ(手段の簡略化=手抜き)」の可能性は捨てきれないのだからね。
>>45 おっしゃる通り、訴えられなきゃOKなんて、
主観や偶発的要素に依存しすぎていてナンセンスとしか言えない。
つまりこれも、好き/嫌いという感情の延長線上でしかなくて批評とは言えない。
ただ、新田の場合、初期は本当にパロディだったわけだよ。
それが長年続いてパロディ要素が薄まっても以前に流用を続けてるわけ。
そこが問題だと思う。
>>46 その理屈で言えば、気難しい人からパクればアウトで、
優しい人からパクればセーフと。 んなばかなw そんな批評はないよ。
俺がやなせたかしをトレースしたらセーフで、松本零士をトレースしたらアウトなのは
俺のやなせたかしに対する模倣技法が優れていたわけじゃないだろ。
たまたま許してもらっただけだ。そんな無茶は言ったらあかん。
また、許可を取っている・いないは流用・模倣の厳しさを一例としていっただけで
許可を取ってるからOKなどと戯言をいう意図はないよ。
李下に冠を正さず、じゃないけど許可をとるのは
わざわざパクリだと疑われないアピールでもあるわけだよ。
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