>>
>>11 同人については同意見なので特になし。
その他表現物と一緒にしていることですが、
例えば近代的な文芸批評の手法って元々確立されてなかったんだけど、
先に確立されてた美術批評の手法をそのまま持ってきてんだよ。
それを構造主義学者と呼ばれる人たちが再整理して、現在の形になった。
漫画も同じで、今度は文芸批評のテクニックを漫画に応用しようとしている。
これが夏目房之助や鶴見俊輔などの人たち。
だから、個人的にはこの流れを評価して同じに扱っている。
とは言え勿論確立されたろんじゃないから反論の余地はあるけど
決して無理な一緒くたとは俺は思ってないな。
>>12 おっしゃる通りで、現実には個人による。
ただそれはまあ、先に言った「政治力」というのもあるだろうし
松本零士御大が新人のをパクっても、誰も何も言えねえみたいなw
そこで「度を越さない」ということになるわけだよね。ここまでは同意できる。
そこから「度を越す」ってのがどういうことかという線引きが必要になってくるわけだけど
基本は繰り返すように「オマージュになってるか」=原作がはっきりわかるかどうか
だと思う。音楽の編曲ってのは必ず原典を明記するわけだし、
そこまでしなくとも、田中圭一やタランティーノのように誰が見てもパロディと
認識できる作りになってるかどうかがポイントかと。
今回の場合、スレ立て当初の反応を見ても、気づいてない人も少なくなかったんじゃない?
そういう認識も含めて問題視しているわけなのです。
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