手塚治虫のすごさを教えてください


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001 2022/04/26(火) 20:14:35 ID:B0K5QHzPho
手塚治虫は、マンガの連載を何本も持っていたというけれど、
具体的に、どの雑誌にどの作品が載っていたのですか?
一週間ぶんのスケジュ-ルを教えてください。

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※省略されてます すべて表示...
021 2023/11/01(水) 03:37:53 ID:pb4QCn5lkQ
https://ja.wikipedia.org/wiki...手塚治虫の作品一覧

>1973年当時の漫画界で手塚は既に過去の人とみなされており、『ブラック・ジャック』は実質的に手塚最後の作品として当初5回の連載を予定して企画されたものだった。
社内でも反対の声は大きかったが、壁村耐三は「先生の最後を看取ってやらないか」という台詞でまわりを説得したという。

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022 2023/11/01(水) 03:58:28 ID:pb4QCn5lkQ
虫プロ商事株式会社は旧虫プロの子会社。虫プロが負債を抱えて経営上の問題を抱えたためにその打破のために、版権部と出版部と営業部を虫プロから独立させる形で1966年7月に設立。虫プロ商事社長には虫プロ専務取締役の今井義章が就任して、池袋駅近くのビルで発足[33]。虫プロは制作部門のみが残された。

虫プロ倒産騒動の頃 https://tezukaosamu.net/jp/mushi/201602/column.htm...
虫プロのゴタゴタを葛西健蔵に預けた手塚は、富士見台の仕事場兼虫プロの社屋となっていた家と土地を売り払い、下井草の借家へと引っ越した。
四〇〇坪の大邸宅から、狭い借家へ移るのです。奥さんや子供だけでなく、御両親もいっしょなのです。
全財産と虫プロを失ったものの、手塚はそれと引き替えに再びマンガに集中できる環境を取り戻した。

手塚治虫復活の第一歩となった作品『ブラック・ジャック』第1話のトビラ絵。この作品が『週刊少年チャンピオン』に掲載されたのは1973年11月19日号。店頭に並ぶのは発行日のおよそひと月前だから虫プロ倒産の直前ということになる

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023 2024/03/09(土) 22:00:39 ID:58698qX2PA
>>20
設立年
1961 手塚プロダクション
1963 フジオ・プロダクション →長期滞納は経理担当が横領し失踪→長期スランプ
1966 藤子スタジオ、石森プロ
1968 ダイナミックプロ
以下略

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